広元の情に流されない冷静な人物像が反映された逸話である。 鎌倉市西御門に大江広元の墓と伝えられるものがあるが、これは江戸時代に長州藩によって作られた供養墓(詣り墓)であり、地元の言い伝えによると鎌倉市十二所の山中にある五輪塔が本来の広元の墓とされている。 承久の乱で後鳥羽上皇側に付いた嫡男・大江
20キロバイト (2,829 語) - 2022年7月18日 (月) 13:03


『鎌倉殿の13人』を観ているとわかるように、鎌倉幕府の中枢部には「文官」たちがいました。当時の言葉では「公事奉行人(くじぶぎょうにん)」と呼ぶのが正しいのですが、なじみのない言葉なので、ドラマではわかりやすく「文官」としています。

 この人たちは、わかりやすくいえば事務方の役人です。もともとは、京都で朝廷に仕える役人でしたが、鎌倉に下ってきて、幕府に身を投じることになりました。

 代表格としては、大江広元と三善康信がいますが、ドラマには中原親能(ちかよし)や二階堂行政も登場しています。実際は、他にもたくさんの文官(公事奉行人)たちが、幕府の実務を支えていました。
(JBpress)